かねてより憧れていたはじめてのローマ訪問はあいにくの雨模様でした。
石造り建造物の白と青い空とのコントラストでしかイメージをしていなかった私にとってそれは予想外のことでした。
ところが、徐々にこの鈍色のヴェールで覆ったような重たい空こそが実はこの町に最もふさわしいのではないかと思えてきました。
雲ひとつない青空では背景として物足りないかもしれない。
それほど長い時をかけて寡黙に熟成されてきた町だったのです。
テルミニ駅からバスに乗ってみました。窓の外、通り過ぎていく風景はどれも物珍しくずっと釘付けでした。例えば町なかに発掘中の古代遺跡がありその横をビジネスマンが仕事に急ぐ、、、とても不思議で新鮮な驚きでした。ローマの人たちにとってはこれが日常なのでしょうが。
ナヴォーナ広場の三つの噴水はこんな冬の雨の日でもふんだんに水を噴き出していました。こっそり隅のほうから肩越しにコインを投げ入れたトレヴィの泉もそうでしたが、こういう水場は暑い夏に涼を求めて訪れたほうがずっと良さそうです。
ナヴォーナ広場からパンテオンへ向かう裏道で衛兵の人たちでしょうか、黒いマントに真っ赤なラインとスカーフ(?)の制服はさすがにお洒落なイタリアです。
この強い色のコントラストも時代がかったデザインもローマという空間ではごく自然にしっくりと馴染んでいました。
石畳の路地がひらけたところ、そこがパンテオンでした。
コリント式円柱のファザードは1900年もの間この神殿を支えてきただけあり、その堂々たる力強さは圧巻でした。内部も思った以上に広くまたクーポラまでの高さもあります。あの時代にここまでのものを作り上げた技術力を想像するとかつて世界に君臨したローマ帝国の偉大さを実感せざるを得ません。
クーポラの頂上に大きくまあるくあいた天窓。友人から天窓から差し込む光の帯がきれいだったと聞いていました。
けれどもこの日は雨。当然ガラスがはめこんであるわけではないので大理石の床がまあるく濡れていました。
では、雪が降ったらここにまあるく積もるの?その光景を想像してうっとりしましたが、ローマに雪が降ることはめったにないですね。ここに眠っているラファエッロはそんな夢のような光景を見たことがあるのでしょうか?
パンテオンの斜め裏手、オベリスクを背負ったゾウのモニュメントの後ろにあるのはサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会です。ドアに掛けられた表札がとても可愛らしかった。外観はとても質素なので見落とされがちなのかもしれません。2〜3人の人々しか訪れておらずひっそりとしていました。意外にもここにはロマーノ、フラ・アンジェリコ、フィリッポ・リッピ、ミケランジェロの作品が見られるだけではなく、ガリレオ裁判が行われたという付属修道院が併設されています。ガリレオの歩いたところをと回廊に入ってみると天井にはきれいな唐草模様のフレスコ画が描かれていました。ふと周りを見渡すと修道士たちしかいません。何かちょっと違う雰囲気が、、、。時間外なのか立ち入り禁止なのか、とにかく場違いのところに紛れ込んでしまったようです。慌てて出てきました。
夕方の薄暗い街角で見かけた雨の中の露店。きれいに並べられた果物の鮮やかな色がぽっとともったともしびのようです。
スペイン広場に着いた時、ほんのひと時雨が上がり、厚い雲の合間からオレンジ色の夕陽がスポットライトのようにピンクのトリニタ・ディ・モンティ教会を照らしました。一日の最後にご褒美をもらったようで嬉しくなりました。
翌日は早起きをしてヴァティカンへ向かいました。
一昨年の暮れ、友人から送ってもらって手にしたRobert Hupkaの写真集「ミケランジェロ ピエタ」。あらゆる角度から撮られたマリアとイエスの表情はそれぞれがまったく別のものに見え、しかも硬い石で作られた彫刻であるはずなのに波打つような柔らかさと深いあたたかさを感じる。一度この目で確かめてみたい、これが昨年2回のチャンスを見送った今回のローマ(ヴァティカン)訪問の一番の目的でした。
この朝は雨は上がっていたものの相変わらず空は厚い雲に覆われていました。
バスを降りた通りの先にサン・ピエトロ広場、サン・ピエトロ寺院が見えて来ました。大きい!この時期までは広場中心にそびえ立つオベリスクの前に巨大なクリスマスツリーとイエスご生誕の馬小屋が再現されていました。
まだ人気のない朝の一番いい時間、セキュリティチェックを受けてから聖堂入口へ向かいました。
ヴァティカン宮殿の入口にミケランジェロがデザインしたといわれる制服を身にまとったスイス人衛兵の直立不動姿が見えました。
内部に入ると更にその壮大さ、荘厳さが大きく手を広げて迫ってきます。あまりにも豪華すぎて私には敷居の高さを感じましたが。
そして念願のピエタ。過去の破壊事件以来ガラス越しでしか見られないことは知っていましたが、さらに手前に手すりが備え付けられていてこちらも手の届かない遠い存在に思えました。
期待が大きかっただけにその落胆は隠せず、最後に聖ペテロ像の右足に触れてからヴァティカン博物館へ向かうことにしました。
重たい大きな扉を開くと、、、あんなに暗かった空が一転、明るく柔らかい朝の光が濡れた広場をきらきらと輝かせていました。それはまるで金色のラメが空からこぼれてきたかのようでした。一瞬それが現実なのか錯覚なのかが把握できず、そのまばゆいばかりの美しさにしばらく見とれていました。
空を見上げると雲の隙間から青空も見えていたので予定にはなかったクーポラに登ってみることにしました。
エレベーターのコースにしたので簡単に考えていましたが、クーポラ下のテラスから最上部までは狭い螺旋階段をさらに300段以上ものぼらなければなりませんでした。
最後の一段を踏んでようやく最上部テラスへ。息の上がった胸を押さえながら視線を上げると目の前には素晴らしいパノラマが広がっています。苦労してのぼってきた甲斐がありました。
遥か遠くにかすむ山々、お城らしき建物、コロッセオ、教会の丸屋根、ヴィットリアーノ、点在する丘の緑。それらにほのかではありましたが幾筋もの「ヤコブ(天使)の梯子」と言われる光芒が差し込み、それはそれは幻想的でした。抜けるような青空でなかったことが幸いしたようです。
人影まばらなクーポラ最上部でマリアというスロヴァキアの若い女性と出会いました。
「あの階段は大変だったけど何て素晴らしい眺めでしょう!」きっと同じ感銘を受けていたのでしょう。どちらからともなく言葉を交わしていました。クーポラ下のテラスで再び会った私たちはヴァティカン博物館への道を共にすることになりました。
広場まで下りてきた時には金色の陽光も青空もどこかに消えてなくなりひどいどしゃ降りになっていました。
ここに本当に神さまがいたとしたら、現れたのはあの立派な聖堂の中ではなく金色のひとときとヤコブの梯子をおろしてくれたあの瞬間であったような気がします。
長い煉瓦の城壁に沿ってヴァティカン博物館へ。にこやかなマリアのおしゃべりは小鳥のさえずりのよう。雨のみちゆきにもかかわらず足取りが軽くなりました。この日の思い出に花を添えてくれたのはピエタのマリアではなく意外にもこちらのマリアでした。
そんなマリアとは博物館の途中で別れ、その後たっぷりと時間をかけてラファエッロの間、システィナ礼拝堂、ピナコテーカ絵画館を鑑賞してきました。4時間は滞在して大満足。かなり手ごたえのある美術館でした。 予定通り終日をヴァティカンで過ごし、古代ローマの探索は次回のお楽しみとなりました。
「すべての道はローマに通ず」、トレヴィの泉にコインも投げ入れて来ました。きっとまたいつか戻ってくることができるでしょう。
数々の歴史的建造物や美術品以上に印象となって残ったもの。
それは、気まぐれが紡ぎだす一瞬の思いがけない美しさ、ローマとっておきの万華鏡の空でした。
(Jan.21.'04記)
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