昨年のお話です。
ゴールデンウィークに訪ねた時の新鮮な感動を再び味わいたくて、一度はと思っていた紅葉の京都へ出かけてきました。この年の紅葉は例年よりも早く、晩秋の連休は見納めにやってきた人々で溢れていました。
まずは新緑の頃との比較を楽しみたくて前回に訪ねたお寺から足を運んでみました。
高台寺の秋の夜間拝観。鏡のように静かな臥龍池に映った紅葉にはその幽玄さにしばらく言葉を失い見とれてしまいました。どんなに人が溢れていても一見の価値はあります。再度の訪れに満足しました。
大徳寺高桐院。青空と紅葉に彩られた今回は、雨に緑が映えた前回とはまったく違う顔を見せてくれました。
ひとあし遅かったようです。お庭に佇む石灯籠に彩りを添える楓の葉はすべて落ちてしまっていました。このお寺は人の少ない時に訪れるのが良さそうです。
東福寺の洗玉澗。その色づきはとにかく見事で圧巻でした。四方に広がる枝々のふところのもとで上を見上げると重なり合った葉と葉が陽の光と影でグラデーションを織りなしていました。うーん、この配色バランスと質感、、、ここでも言葉を失った私でした。
この時期の京都は「一人静かにもの思う」ことは許されないほどの人の多さでした。
全国からこの饗宴に人々が集まってくるのですから仕方がありませんね。何を隠そう私もその中の一人でしたから文句は言えません。
そんな中にあっても、自然の艶やかさは、あるところでは圧倒するフォルテッシモの勢いで、あるところでは楚々と控え目なピアニッシモで感性の琴線に触れてきます。そしてそれがソナタの調べとなるような、、、。視覚からも旋律や強弱を感じることができるのですね。
苔むした石の上に舞い落ちた燃えるような紅(くれない)色、嵯峨野の竹林の中で緑、黄、赤と三色に色づいた一本の楓、色とりどりに縁取られた嵐山、鮮やか色の落ち葉の絨毯、、、京の色彩感覚はこの自然の中から生まれたであろうことをつくづくと実感しました。
この話を京都出身の友人に話したところ素敵なエピソードを聞かせてくれました。
「日本の伝統文化である着物は、色や形の複雑な組み合わせによって、あのみごとなまでの美しさをつくりだしていますよね。西陣織りが主幹産業であった京都では、特に色に関して厳しい目が育っているといわれているんです。その京都に本社をおき、永年能装束や祇園祭の山鉾を飾る幕を納めてきたK織物さんでは、着物を作る際に大切な、色を決めるという作業を、社内の北側の部屋で、しかも、いつも同時間に行なっているそうです。
これは、北側は、太陽の光からの影響を最小限に押さえるため、そして、時間によって色の見え方が変化しないようにするためだそうです。また、それを担当するのは永年この作業にたずさわってきた社員のみ。その人も日頃から体調管理を万全にしていて、日によって目に映る色が変わってこないよう心がけているという徹底ぶり。それほど色へのこだわりが強いのですね。そうやって、日本の色文化は、はぐぐまれてきたのだと思います。」
永きに渡って継承され続けているこだわりと厳しさから生まれる「美」、、、一朝一夕にできるものではありません。
京都という地に恵まれた自然と、それらを大切にし感性をもって受けとめている人々とで作り上げていった賜物なのでしょう。
そんな町で生まれ育ったことを友人はとても誇りとしているように感じられました。
彼女も自分らしさを静かに秘めた感性豊かな京美人です。
(Dec.17'03記)
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